授乳における心境の変化のまとめ

年末に2回目のフォロー外来に行きました。

体重が少し伸び悩んでいましたが医師曰く成長曲線に沿って増えていれば問題ないとのことで、一通りのチェックもクリアし、今のところ引っかかる点は無いです。

生後3カ月に入り、だんだんプクプクした体つきになってきました。まだムチムチではないですが…

 

2回目のフォロー外来の少し前に保健師さんが体重を計ってくれたのですが、一日ごとの体重の増加量を計算し、ちょっとミルクを足してもいいかも、まあ足さなくても大丈夫なくらいですが、といったアドバイスを受けました。

子どもは直母の練習の頃からかなり抵抗するタイプでした。点滴、管、哺乳瓶、直接の授乳…と、子どもにとっても栄養を摂る手段が目まぐるしく変わって、本当に大変だったと思います。私は私で、姿勢を変えたり抱き方を変えたり、腱鞘炎になりそうな手で必死に授乳していました。10分飲んでもらうのに1時間くらいかかるのもざらでした。ノイローゼ気味だったかなあと思います。ちょっとずつ薄紙をはぐように、暴れる時間が減ってきた頃にミルクを提案され、今までの必死の日々を簡単に覆されたようで大人げないですがちょっと抵抗してしまいました。

 

冷凍搾母が余るほど母乳の出が良かったため完ミにしたらおっぱいのトラブルに見舞われてしまう、混合だと子どもがおっぱいを嫌がってまた暴れまくる生活に戻ってしまいそう。暴れる生活に哺乳瓶洗いまで追加されたら、今度こそ本当にノイローゼになる。今のこの子の状況を見るに完母で行くしかないと思うと、哺乳瓶を使ってミルクを飲ませるのは自分にとっては禁忌の域でした。

 

寝る前に少し足すか、と使ってみると、キエーッと泣きながら哺乳瓶から口を離して抵抗して結局暴れながらおっぱいで授乳するはめになり、なのに少しずつおっぱいを拒否するようになってしまい、親の私が泣きながら恨み節を吐いていました。フォロー外来の医師に「3カ月くらいになったら体重の日割り計算はあまり意味無いよ」と言われ、余計なことをしてくれた、保健師はプロなのになんで第三者に必死に築いてきた家庭の日常を壊されないといけないのと怒り狂っていました。

 

仕方ないので哺乳瓶とおっぱい半々くらいであげるようになりました。子どもの様子を見ながら、夜間におっぱいが十分あげられるよう夕方の入浴後は哺乳瓶にしたりしています。子どもも入浴後は疲れているので哺乳瓶の方が楽みたいで、入浴後に直接授乳すると必死に抵抗されます。夜中の授乳は固いおっぱいがゆるーくなるくらい吸ってくれるので、一回で飲める量も増えたのかなと思います。

 

本当はお門違いだけど、子どもに怒りを覚えた時もありました。入院中からずっと母乳を届け続けて、授乳もして、母乳は沢山出て助産師さんに花丸もらうくらいだったのになんで拒絶するの、と憎く思いもしました。でもこの子は哺乳瓶もおっぱいも吸えるくらい成長したんだ、今まで頑張ってきてくれたんだと思ったら、肩の力が抜けて今は結構楽に過ごせています。また今度は違うことで悩んで、また落としどころを見つけて、これから先もその繰り返しが待っているのかなあと思います。

どんな事を考えてメンタルを保っていたか

子どもは劇的に回復してくれましたが、そこに至るまでは非常につらい時間が続きました。初めての子が産んですぐ自分のそばからいなくなってしまうだけでも苦しいのに、その子が命の危機に面していると言われ、無事なのか見ることも叶わないのはただただ悲しかった。なんというか、純粋培養した悲しみというか、何もしていなくても涙が出てくる状態でした。

 

自分を責めるのをやめたきっかけ

産んだ当日子どもが入院したNICUに向かいたかったのですが医師からOKが出ず、その日の晩は産院で過ごしていました。

眠れなくてナースコールを鳴らして看護師の方と話したのですが、その時こんな話をしてくれました。

「私は以前NICUで働いていて、いろんなお母さんを見てきた。あの頃は若くて赤ちゃんに会いに来れなくなっちゃう親を『なんで!?』と責める気持ちもあった。でも、今自分が親になってその気持ちがよく分かる。その時出会ったお父さんお母さんたちは、皆そろって優しい人たちだった。大変なお産やダウンちゃんや障害をもって生まれてくる子たちは、不思議とそういう優しい人のもとを選んで産まれてくる。」

 

翌日私は夫と一緒に初めてNICUに行き、我が子を見ることができました。鎮静剤を打たれて寝かされてまぶたがピクピクしていました。触ることができるのはおでこや二の腕、片方の足の指くらいでしたが、柔らかくて悲しいくらい可愛くて、それでもやっぱり異質な状態に置かれてしまっていることが辛かったです。

 

NICUに併設されているロッカールームで夫と二人になった時、夜看護師さんに言われた話を思い出しました。

産まれてくる前、頭がよくなってほしいとか、そんなこと願わずにただ元気で健康に産まれてきてほしい、幸せに生きてほしいってそればっかり願ってたなあ。優しい親の元を選んで不思議とNICUに入るような子どもは産まれてくるって言ってくれたんだけど、自分達がそういう子どもの幸福を願うような親だったから、あの子は大変な状況になっちゃったのかな…自分達がもうちょっと違ったら、ああならなかったのかな…

 

そんな話を夫にしていたのですが、ふと

 

でもそしたら、あの子は他の優しい親の元に産まれちゃうのか。それは嫌だな。

 

と思ったのです。

我が子が自分達のところを選んで産まれてきてくれて、他の親の元にいってほしくないと思った私は、自分達にできることをしようと考えました。

 

子どもが回復すると考えられた理由

原始時代に健康な青年が骨折したらおそらく誰もが嘆いて絶望するでしょう。でも、現代の世の中で同じことが起きて絶望する人はまずいません。適切な治療を受けられれば治るものだと認識しているからです。同じように、子どもの病気をどうとらえるかはこちらの認識の問題だと思いました。

また、たとえ原始時代に骨折したとしてもちゃんと添え木を当てれば骨折はキレイに治るものです。物事には道理がある訳で、適切な治療を受ければ治るものなのだと考えました。私が直接できなくても、医療のプロが最高のケアをしてくれると信じました。

 

子どもに接する時に考えてた事

その上で、まず私は「当たり前に元気になると明るく期待する」ことにしました。

子どもの頃、親が当たり前に「私ちゃんならできる」と期待してくれると心が満たされました。相手は産まれたての赤ちゃんでしたが、一歩一歩この子はいろんな事を乗り越えるんだ、医師も最高の治療をしているからちゃんと物事の道理に従ってこの子は元気になるんだと期待しました。そう考えながら我が子に触れていると、温かくて柔らかくて気持ちが満たされました。苦しい中で期待し続けられたのは、歯を食いしばって耐えたからというより、ホッとする気持ちになれたからというのが大きいです。

 

それでももちろん気持ちが沈むことは沢山ありました。

お腹の中にいた頃、私は「優しくて、聡明で、健康なぷりぷりの体で産まれてきてほしい。100歳まで元気に生きてほしい」と願っていました。

子どもは早い段階から胎動が激しくて、後期になるとあばらをグリグリ蹴られたり膀胱を押されたりしていたのですが、「あばらが折れちゃう」とか「膀胱が暴行されている!笑」と言っていたら、だんだん違う場所を蹴ったりトイレの時にそっと頭で膀胱を押したりするように変化していきました。

自然な変化なのかもしれませんが、私にとっては「話してたことが分かるなんて、なんて賢い子なんだろう」「本当は体が大きくなって狭いのに、私のオシッコが漏れちゃわないようタイミングを見てそっと押すなんて、なんて優しい子なんだろう」と思っていました。体重もしっかりあって、産まれてくる前から子どものために願っていたことを沢山叶えてきてくれて、とても嬉しかったのです。

だから、産まれてくる前からこれだけ願いが叶うなら、100歳まで元気に生きてほしいという私の願いも必ず叶うから大丈夫だと思いました。悲しみに沈みそうになる時は必ず長生きするから大丈夫だと自分に言い聞かせていました。そうやって言い聞かせてると、会えた時気持ちがパッと明るくなりました。

 

退院した今も、心配な時は「沢山生きようね、沢山幸せになろうね」と言い聞かせています。むしろ「これだけ大変な状況を子どもは乗り越えてくれたんだからボーナス付きで回復してもらう!」と考えています。

子どもの現在の状況まとめ

今回は産まれた当初重症新生児仮死、低酸素性虚血性脳症、肺出血、心臓が動いているのみのアプガースコア1点、脳と心臓と肝臓と腎臓にダメージありと言われた私の子どもが、出産から今にかけてどんな状態で過ごしているか少し詳しくまとめようと思います。

 

子どもが産まれた時の状況

9月末に産まれました。なので今は2か月後半、もうすぐ3カ月といったところです。

体重は3000g超え、妊娠中の経過は特に問題なし。40週を超えても産まれる気配がなかったので促進剤を使い、和痛で出産。陣痛は長く続きましたが出産自体は1時間で終わるスムーズなお産で、お腹に付けたモニターでも子どもに異常は全くなし。最後は自力でお腹から出てくるくらい元気でした。ただ自発呼吸がうまくできず上記の状態に陥りました。

 

NICUでの状況

低体温療法を72時間受け、その後徐々に体温を上げて体のダメージが出ないかチェックしながら、少しずつ栄養も点滴から管、哺乳瓶と変えていきました。

最初口には呼吸器、鼻には胃に母乳を送る管、片方の腕に栄養と眠らせるための鎮静剤(低体温療法をスムーズに進めるためです)を送る点滴、もう一方の腕に動脈とつないで血圧を調べる管、片足に血液製剤、もう一方の足に酸素濃度を調べるモニタを最初付けられていました。

これらの管やモニタは少しずつ、より軽い補助に変わったり取れていきました。子どもの状態によってどれがどの順番に取れるかはおそらくだいぶ違うと思います。

酸素を送る呼吸器が取れて肺に圧をかける管に変わった後ぐうぐう眠り続けた時もありました。ずっと声を聞くこともできませんでしたが自力で呼吸できるようになってからは泣く姿を見られるようになりました。

医師と話せる時は現状と次この子が乗り越える必要のあるステップについて尋ね、インターネットでは全く検索しないようにしていました。ブログを発信している身としては矛盾しているかもしれませんが、良い症例はあまり無いと予想していたし、ネットに載っているのはあくまで他の症例であって我が子についてではないと思い、気になることは医師や看護師に尋ねるようにしてそれで充分だったので調べなくて良かったです。

 

NICU卒業後近くの病院に転院

NICUに入院して1か月弱、10月の終わり頃自分の口で哺乳瓶や乳首から飲めるようにするリハビリの段階に進んだため、近くの病院に転院しました。

その時点で血液検査や先天性代謝異常といった検査で異常は無く、内臓に残ったダメージはゼロか、少なくとも調べても検出できないくらい微々たるものに落ち着いていました。

MRIで脳を調べた結果は、普通の健康な人にも見られる程度のちょっとした所見がいくつかと、側脳室の外が少し白く将来的に手の震えや体に痙攣が起きるかも?起きないかも?という注意が必要な所見が見られました。注意の必要な部分は残ったものの劇的な回復を遂げました。医師は「想像できなかった」と言ってくれたそうなのですが、私は説明を必死にノートに書いたり質問するのに精いっぱいで気付かず、後で夫が教えてくれました。

 

転院した頃子どもは鼻に通した管と口の両方からミルクを飲んでいました。

たとえば一回100ml摂る必要があったら、決められた時間乳首を咥えさせて直接飲ませ、体重を測って5ml飲めてるのが確認できたら残り95mlを哺乳瓶から与え、飲み切れずに残った分は鼻の管から胃に送っていました。

授乳は抵抗されて咥えさせることすらうまくいかない状況が続きましたが、少しずつ口を使うのが上手くなり、哺乳瓶で全部必要な分のミルクが飲めるようになってしばらく経ってからは、毎度抵抗されるものの直接おっぱいから母乳を飲んでくれる量(直母量と呼んでいました)は30~40mlくらいに増えました。

 

退院してから現在にいたるまで

欲しがったら直接授乳する頻回授乳を自宅では進めました。あごの力を鍛えておきたいと思ったのも理由の一つですが、私の場合助産師に一回でとっていい搾乳の量をアドバイスされるくらい母乳がよく出ており、子どもが直母を抵抗するからと毎回搾乳して哺乳瓶で与えてたら大変過ぎて全く現実的じゃない!それなら直母の回数を増やしてでも授乳を軌道に乗せたい!と思ったからです。これについては転院後の病院の看護師さんに相談しながら進めました。ただ最初は日中15回前後+夜中に1回授乳で、これが一般的な授乳回数か分かりませんがしんどくて欝々としてしまったため、無理しないで哺乳瓶にももっと頼れば良かったと思います。

 

音や人の顔にも反応し、手足も自分で好きに動かしています。だんだん首も筋肉がついて好きな方向へ顔を向けられるようになってきました。表情も出てきて、うとうとしている時に感情に関係なく微笑む生理的微笑から、楽しい時に微笑む社会的微笑が見られるようになってきました。1か月健診、2か月で受けたフォロー外来では異常なし。近くの小児科で予防接種も受けられました。

 

子どもは今でも授乳の時腕で押し返して抵抗しますが、一応口から直接おっぱいを飲んで成長曲線に乗った体重の推移をして育っています。先日もうちょっと沢山体重が増えた方が良いと保健師にアドバイスされたのですが、今は哺乳瓶をものすごく嫌がってミルクを足すのは難しいのと、予防接種後下痢がしばらく続いたのでそれで体重が増えにくかったのもありそうなので、近々受ける3カ月のフォロー外来でひとまず相談しようと考えています。

NICUに子どもが入った親御さんたちへ

私の初めての子どもは出産直後に呼吸ができなくなり、重症新生児仮死でNICUへ入院しました。低酸素性虚血性脳症、肺出血も併発しました。それでも今は元気におっぱいを飲んで過ごしています。

NICUでは赤ちゃんへのケアは重点的に行われており、親のケアとしては臨床心理士さんがいたりしますが、それでも親へのサポートは十分とは言えないと思います。

NICU 親 サポート」等の言葉で検索すると分かりますが、出てくるのはほとんど論文です。私たちに必要なのは、学術的な分析ではなく、当事者を本当に支えてくれる言葉や仕組みです。私が何か書くことで、少しでも支えになれれば幸いです。

 

1.自分を責めないで

NICUに我が子が入ることは、親にとってやりきれないことです。どれだけ苦しいことか。子どもが自分のそばから離れ、入院してしまうことで、親である私たちはもう十分傷ついています。その上でさらに自分を責めて、自分の心を傷つける必要は全く無いです。親と子どもは、出産を命がけで乗り越えてきた家族です。お父さんお母さんが自分の心を責めて責めて胸を痛めることを、赤ちゃんは望んでないはずです。自分の至らなさを探さなくて大丈夫です。頑張っている赤ちゃんのそばにいてあげて下さい。

 

2.毎日NICUに通っても、間が空いても良い

生まれたての我が子が親のそばから離れて過ごすことを思うと、毎日できる限り会いに行きたくもなります。それは親としての愛情の証です。一方で、体や気持ちが辛く毎日は無理だ、と思うのも自然なことです。私は毎日通わず、二日に一回程度でした。でもそれは、いつか必ず子どもが家に帰ってくる日がやってくる、親子で長い人生を過ごせるようになる、だからその時に向けて自分の体を十分回復させようと思ったからです。人から見てどうかは分かりませんが、十分な愛情と覚悟の上で行動したと思います。私以上にもっと間が空くことになる人もいると思います。でも、それでいいと思います。

会えた時は触れるところを十分触って可愛い我が子の体を堪能したり、帰る時に「次はいついつ来るよ、だからそれまで安心して待っててね」と声をかけてあげたりする方が価値的ではないかと思います。辛くなるほど頑張るより、会えるのが楽しみに感じられる頻度で通って良かったと思います。

 

3.目の前の現実だけにフォーカスする

私の子はお腹の中にいた時、元気に動き回っていました。それが出産後は低体温療法を受けるために薬で眠らされ、我が子に会ってる間も胎動を思い出すと体が震えるほど涙が出てきました。また、退院した後でもちょっと動きが鈍かったりすると心配になり、将来のことを想像してやきもきしてしまったりします。でも、過去は事実として過ぎ去ったことであり、未来はまだ起きてもいない現象です。目の前の我が子のことだけに集中して、夢中になって下さい。

 

4.医者は治療、親は回復

NICUにいる医師や看護師さん達は医療のプロです。一方親の私たちは、子どもが苦しんでいてもまず手を出すことはできません。何かしてあげたくても子供を思うと怖いし、治療をするという点では無力です。ただ、回復については親には絶対に誰もかなわないです。私の子は、母である私が近くに来て触っている時が一番心拍が上がると言われました。我が子の姿に一番傷つき涙を流す人間は親です。普通の人は入院している他人の赤ちゃんの姿を見たら、心配はしても傷つきはしないでしょう。赤ちゃんからしてみたら、それだけ必死に自分のことを追い求めてくる人に一番安心感を抱くのではないでしょうか。心拍といった分かりやすい数字で表れなくても、愛情をもって接することは莫大な影響を赤ちゃんに与えるはずです。また、日が経てば保湿剤を塗ったりオムツを替えるといったケアを親でも少しずつできるようになります。「手がカサカサだけど大丈夫かな」とか「オムツを替えたいけど一緒にしてもらいたい」とか、気になったことは看護師さんに伝えて大丈夫です。そもそも細かな要望はこちらから尋ねないと看護師さんも動けませんし、担当看護師は毎日変わるので、気になる度に伝えるのが現実的です。

 

5.世間体は捨てた方が良い

担当看護師に質問や要望を毎度伝えたら嫌がられないか、通院したり子どもの姿を見るのが苦しいなどと話したら冷たい目で見られるのではないか、と色々想像するかもしれません。当たり前の感情だと思います。でも私はNICUに子どもが入って、頭の中で想像する世間体は、自分を責めはするけど助けはしないのだと痛感しました。

迷惑にならないか気になるなら、忙しくなさそうなタイミングで話しかけたり、自宅でノート(ストレスで非常に忘れっぽくなったのでノートを用意するのはおススメです)に聞きたいことや医師の説明を書きだしておいたりすれば、周りの負担も減らせるし自分の要望も伝わりやすくなります。また、心理士さんはケアをするのが仕事です。自分の心のうちを吐露するのが苦しい、でも抱えるのも苦しい、という場合は話してしまった方が楽です。家事も手抜きして寝て良いです。周りが見たらのんびりしてるように見えるぐらいで丁度いいです。私の場合、自分が楽になることで結果的に子どもに笑顔を向ける余裕ができました。

 

6.意外と辛かったこと

体の面で意外と辛かったのはトイレと食事です。NICUではどちらも容易にできません。一度トイレや食事のために病室を出ると、もう一度入室するのがかなり面倒です。その上病室は室温が高く設定されていて、暑くて長くいると体力を使います。お見舞いに行くときは冷たい飲み物と手が汚れにくい菓子パンなどの軽食をあらかじめカバンに入れて、長めに休憩して食べるようにすると楽でした。

心の面で辛かったことは連絡です。事態を伝えたい方々には早い段階で連絡し、その後も定期的に伝えていましたが、子どもが回復し始めた頃になるとどっと疲れてしまいました。心配してくれている分現状報告をしたいのですが文章を考えるのに疲れてしまい、簡潔に報告すると伝わらない上失礼だし、でも頑張って丁寧に報告したら余裕があると思われてしまいしんどくなって誰かに相談しようと思ったらまた一から色々説明しないといけない…

この連絡疲れのスパイラルは非常にしんどいので、「落ち着いた時に連絡します」等、あらかじめ予防線を張っておけば良かったと思いました。私の場合仲の良い友人の子が偶然にもNICU卒業生で、友人に色々と話す中で共感してもらったり気持ちを代弁してもらうことでだいぶ救われました。NICUに子どもが入院した苦しみは独特なもので自分の親でも全然分かってもらえないことが多々あったので、もし可能ならNICU内で友人を作るのを勧めます。

 

最後に

赤ちゃんにとって、お父さんお母さんは太陽です。地球は太陽の周りをまわります。太陽が輝けなければ、地球の植物も、動物も、元気に成長することはできません。親が振り回されてはいけません。私たちがニッコリ笑いかければ、入院している赤ちゃんは安心して輝くのです。また、心配して流す涙も大地を潤す雨のように赤ちゃんの心に降り注ぎます。私は喜びと悲しみの両方が、この苦しみを乗り越えるために必要なのだと思いました。一つ一つの出来事はいつか思い出になります。私たちは自分の人生の舞台を演じきっているんだと誇りを持って、日常を大切に、我が子を可愛がって過ごして下さい。

我が子が重症新生児仮死に陥った

しばらく更新していませんでしたが、9月末に出産しました。

分娩中も問題なく、何なら妊娠中の経過も問題なかったのですが、出生直後呼吸ができず子どもはそのまま救急車でNICUに運ばれていきました。

病名は重症新生児仮死、低酸素性虚血性脳症、肺出血、アプガースコアは1点で、脳と心臓と肝臓と腎臓にダメージを受けたとのことでした。

72時間の低体温療法を受けました。産んだ翌日やっと会いに行くことができて、手も足も管が繋がって、頭には脳波を調べるコードが複数付けられ、鼻に通された管の中には血が付いていて、我が子の二の腕や足の指に触れながら、柔らかくて、可愛くて、ひたすら悲しかった。

体の真ん中がからっぽになるとは、このような気持ちなのだろうか。

 

幸いなことに子どもは医者の予想を裏切るほど劇的に回復し、今はすべての管が外れて一緒に自宅で暮らしています。

将来、もしかしたら四肢の硬直が出るかもしれない程度で済みました。

 

私は健康な赤ちゃんのお母さん、同時に重篤な病気を抱える赤ちゃんのお母さんになったのかもしれません。我が子が家に帰ってきた喜びと、今後この子が元気に歩けるのか、首が座るのか、お話しできるのかといった不安を抱えながら、ふと元気に産まれた赤ちゃんのお母さんが感じる心配と何の違いがあるのだろうと思うのです。

 

子どもの成長を願う気持ちに違いはないなら、打ちのめされるような思いをした私たちが子どものことを思って心配するお母さんの気持ちに寄り添うことで、直面している現実に意味が出てくるのではないか。

 

一方で、回復した我が子のことについて書くことで、同じように重症新生児仮死で産まれた赤ちゃんの親御さんたちの希望になれるのではないか。同様の経験をした方が書いたブログはいくつかあるみたいですが(私はネットで調べるのが苦痛で一切検索できず、夫が個人的に調べた話を聞きました)、障害を抱えているお子さんが多いらしく、私たちの子のように元気に回復した例は少ないみたいです。でも、書いていないだけで実際は回復したお子さんも沢山いるのではないかなと思っています。

 

今後少しずつ自分の経験について書くことで、NICUに子どもが入った親御さんたちや、元気に子どもは産まれたけど子育てが辛い親御さんたちの中の、誰か一人の心の励みになれたらと思います。

家事をやらせたがる人達

もうすぐ子どもが生まれる予定です。

でも何も兆候が無いので、重いお腹でせっせと床拭いてみたり今は苦痛となった食器洗いを先日ちまちまやりました。床とかドアとかキレイになって自己満足です。

もう少しお腹の中で一緒に過ごした方がいいなとは思いつつ、お腹が重くて痛くて夜もなかなか眠れないのでそろそろ出てきてくれたらいいなというのが正直なところです。日中休んで体力回復してますが腰とかおまたが痛くてうめく日々です。

 

妊娠が判明してから8カ月近く経ちますが、その間つわり対策だの部屋作りだの必要なベビーグッズだのいろんなネット記事を読み漁ってきました。色々読みましたが、実際に子育てしてるお母さんが書いている記事だと感じないのに大手サイトの情報だと時々違和感をちくちく感じていました。ある時下記のような文面を見て「これだ!」と思いました。

 

「出産前後の入院期間に旦那様(もしくはパートナー)が困らないよう食事の作り置き等計画を立てて進めましょう♡」

「男性も少しずつ家事を手伝いましょう」

 

どう考えても妊娠中という半病人状態で過ごしている人間が健康な夫のために食事を準備する必要が見えてこないです。正直「健康な大人の男性なら外食も買い食いもできるしむしろ体調悪い上簡単に動けない妊婦の食事を夫は確保してほしい」と思います。家事を手伝いましょうって、父親になる人にかける言葉でしょうか。「家庭内の家事を把握し出産前にスムーズにできるようにしましょう」ぐらい書いてほしい。

行政からもらう資料も大抵「お母さんは…」「ママは…」と女性が頑張る前提の内容で、父親である男性向けの資料はびっくりするほど薄かったです。

母親学級はあるのに父親向けの教室は無いから開催している場所を探しましたが近くで見つけることができず、夫は「何が必要か知りたいのに情報がない」と言っていました。

妊娠するということは父親が存在する訳ですが、父親向けの情報で現実の子育てに肉薄したものがこんなにも少ないのはマジで理解できないです。

 

夫は私が病気している時にお腹が空いたらスーパーやコンビニで自分と私の分の食事を買ってきてくれます。もちろん感謝していますが、これって立場が逆転した場合女性側が食事を確保しないとすごく責められるよなあ、仮にそんなことあっても人に言えないよなあと感じています。夫も最初からできたわけではなく、新婚当初方法を教えて段々スムーズにできるようになりました。出産の準備に必要なことって何かなと調べると大抵上記のような文面にぶち当たって心底うんざりします。

 

家事の分担は「稼いでる額に応じて分ける」という考え方もありますが、仮に共働きなら半々になるよう協力するか、「早く帰宅できるか体力がある方」が多めにやるのが合理的だと思っています。なぜなら家事は健康な日常の維持に必要不可欠な行為であって、老若男女関係なく生きている以上発生するタスクだからです。働いた後の残った体力で家事をしないといけないなら、双方の負担がなるべく少なくなるよう体力や得手不得手で割り振るのが自然な判断ではないでしょうか。個人的には「掃除洗濯ご飯炊き」は健康な成人なら皆出来る必要があると思って生きてきたので、結婚前家事をほとんどやってこなかった夫には新婚生活がスタートしたらすぐ一通りの家事を教え実際に色々任せたりしてきました。妊娠してから夫の家事負担は増え実際助かっていますが、あの時家事を教えたり必要性を伝えてなかったらお互いすごく辛かっただろうと思います。

 

妊娠中の家事のことを尋ねられて答えるだけだったのに、母親学級の講師やら親やら友人やらあまりにいろんな人に「えー!珍しいね!優しい旦那さんだね」と言われまくって段々疲れるような変な違和感が増えてきました。

妊娠前働いていた時、私が食事を作るのは誰も褒めないし「こんな食材知らないでしょ?」とか「だし取って味噌汁作ってるのか」とか色々言われましたが、夫が私の作った食事を温めて出すことは周りの人にすごく褒められました。周りの人に「優しい旦那だから大事にしなよ」と言われつつ「ちゃんとやってんのか」と小突かれる感覚が妊娠した後でさえずっとついてきて嫌でした。なぜ二人で納得して家事分担してるのに私だけ説教されるのか。なぜ男性が家事をすることに感謝感激してるのに女性が家事をするのは当たり前だと思う自分に違和感を感じないのか。外野には「うるせえ」とでも言っとけば良かったのかもしれません。

 

私は今働いておらず出産後はしばらく社会から切り離されるわけですが、少なくとも家庭の中で新しい価値観を作ることはできる。私たちの家庭には日常の維持がどれだけ大切か、そのためには家事をするのが必要なんだ、男女なんて関係ないんだよって価値観を育てたいです。

道具に頼って安全な子育てを目指す

私は現在妊娠中です。ちょっと大きめの赤ちゃんで

臨月と勘違いされる時もありますが生まれるのはまだ先です。

母の体格がガッシリしてくれたら多少楽なのかとも思うのですが

食べた栄養はどうやらほぼ子どもに吸い取られているようで

お腹ばかり前にせり出してきて、最近は同じ姿勢を取り続けるのが辛いです。

 

「子育て用品を収納する場所を確保せねば…」

「とりあえず必ず使うだろうものは買わねば…」

と、新しく使うことになるモノを買う作業はコツコツ進めていたのですが、

周りの子育てをしている人たちの話を聞いたりネットで調べると

家の中で子どもがモノを破壊せず、かつ安全に過ごせる場所を確保するのって

結構大変な課題なのでは?と思い始めました。

ほんのちょっと目を離した隙に充電器をなめまわして破壊されるとか…

ちなみに私は小さい頃、母が裁縫中に落としてしまった糸の塊を

一生懸命鼻の穴に詰めていたそうですw

 

正直、産後のめちゃくちゃ大変と言われる生活の中で

赤ちゃんがいたずらする度に人力で解決するのは辛いだろうし

気合で頑張っても疲れたりイライラするのは目に見えてます。

 

モノを揃えるのに加えて、

「子どもが動き回っても安全な部屋を作らねば…」

と考え始めて色々悩んだ結果、

奮発して本棚を買い換えました。

扉とバネの突っ張り板がついている、地震に強いタイプです。

強いバネを使っていて、かつ天井との接地面が広い突っ張りなので

これなら子供が引っ張ったり登ろうとしても倒れにくいかなと。

 

 

組み立てるのは大変でしたが

後ろにコードを通せるよう側面の板が少し削られてたり

地震の際に本が落ちないよう金属のバーも同梱されてたり

以前使っていた普通の本棚より安心度が違いました。

本の日焼けも気にならなくなったし…

背面に板が付いてないので、ちょっとだけ本棚を前に出して

大き目の収納ボックスをしまえたのも良かったです。

時々天板の突っ張りが十分かチェックはしないとなと思います。

 

で、扉付きのタイプにしたのですが

ゴムのようなクッションが付いている簡単な扉で

地震やいたずらで簡単に開くのが予想されたので、

扉のロックを別で買うことにしました。

以前に紹介した感震タイプのロックは

子どものいたずら対策にはならないと思われたので、

「扉を閉めたら自然とロックがかかって」

「開けるのに特別な道具はいらないもの」

を探しました。

ベルトタイプや磁石で開けられるタイプもありましたが、

今回はこれにしました。

 

 

これを使うと少しだけ扉が開き、隙間からロック解除します。

3Mの強力粘着テープが取り付けてありましたが、

剥がれない限り地震にも強い仕組みと思われます。

とりあえず付属の粘着テープでくっつけましたが、

木ネジも同封されていたのでそのうちねじで締めようかな…

扉の裏も化粧板になっていて固いので、その時は電動工具で取り付けたい。

 

 

先週末と、昨日今日で夫と協力しながら

本棚の組み立てと設置を進めてきましたが、

私は扉の準備とかロックの貼り付けといった

簡単な作業しかできませんでした。

先週は組み立ても一緒に作業しましたが、

一週間でさらにお腹が大きくなったので

今回の組み立ては全部夫に任せてしまいました。

 

さすがに夫一人で組み立ては時間がかかるので、設置し終わる頃には

気づけば晩ご飯の時間になってしまい、

「ああ…晩ご飯何作ろう」と考えていたら

夫が「ピザをとろう!」と言ってくれました。

最近食べたいなと思ってチラシを取っておいたのですが、

確かに困ってる今こそピザにしたらいいじゃーん!と

私もノリノリで選んで晩は2人でピザを食べました。

 

動けない分できることは頑張らなきゃと思うのですが

無理しなくても済むならそれでいいんだなと、

当たり前っちゃ当たり前のことですが、なぜだか今日は実感しました。

 

妊娠してから母親教室に参加したり子育て情報を調べるようになって

ふとした時に感じるのですが、

基本的にお母さんが頑張ることが

「母性」とされている節があるのかなと思います。

 

「お母さんは、赤ちゃんのためにお出汁をちゃんととって下さいね」

と教室とかで言われると、

お出汁美味しいし味覚のために大事な作業だからやろうとは思うものの、

「そもそもちゃんと出汁をとって作った離乳食は売ってないのかな?」とか

「レンチンでとれるなら夫にも教えて作ってもらおう」とか

自分一人の頑張り以外の解決方法を探してる自分がいます。

 

母性って色々あるのでしょうが、

飲み物の温度は熱くないか冷たくないか、

自分の爪で肌を傷つけてないか、お尻は荒れてないか、

小さなほこりを口に入れてないか、服や靴で擦れてないか等々、

大人相手にはまず考えないだろう

細かな色んなことに目を向けて子どもを守ろうとするのも

母性の一つだと私は思います。

 

でも、毎日、毎時、毎分毎秒こういったことを

無意識でも考え続ける生活は

絶対に疲れる時がやってくると思うのです。

そんな中で普段の家事もこなし、赤ちゃんのための家事もして

病気やケガをしてしまったら病院に連れて行く。

ここまで緊張と負荷がかかり続ける生活を

「母親だから母性がある」という理由で一人の人間にほぼ任せるのは

結構残酷なことのような気がします。

上に書いた「細かなことに目を配る」って、

そもそも母親以外の夫や家族も持てる愛情だと思うのです。

 

網戸を開けて子どもが勝手にベランダに出てしまう事故がありますが、

我が家は古い賃貸なせいか網戸の建付けが悪く、強風で簡単に開いてしまいます。

なので最近網戸のロックを買って付けました。

賃貸なので伸びて剥がせる強力テープを使ってます。

今は強風が吹いても網戸が動かないのでとても楽になりましたが、

子どもが生まれた後でもきっと役立つのではと思います。

いたずらしてたら言葉で注意もするけど、

道具を使って危険を防げるなら

少しだけ気を張る場面が減るのかなと思います。

 

子を愛しててもどうしたらいいのか分からない時があるのは

母も父もみんな同じだから、

色んな子育ての不安や困ったことは

自分達の力だけじゃなくて道具やサービスの力も頼って

なるべく楽に解決していきたいです。